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クイズのような

あげたい日本.jpg
 たとえばバスに乗ったとしよう.運転手の仕草が心もとないので質問してみる.
私「あのぅ,ちょっと質問ですけど.あなた,どれがブレーキか知ってますか?」
運転手「そんなクイズみたいな質問しないでください」
 さて,この運転手は私たちを目的地まで安全に運んでくれるだろうか?

 同じような問答が国会でされている.憲法の条文に関する小西ひろゆき議員の質問である.この時の運転手(つまり安倍首相)の返答は,この運転手はブレーキの位置はおろか,クルマについて何も知らないのでないかと思わせるほどのものだった.
http://blogs.yahoo.co.jp/konishi_hiroyuki_524/17551063.html
 この記事を読んで,背筋の寒くなるような感覚を憶えた人も多いのでないかと思う.日本国というバスをいま運転している人は,じつはブレーキペダルの位置も知らないのだ.

 さらに驚いたのは,この小西議員のブログに多数のヘイトコメントが寄せられていることだ.このようなクイズ問答で質問時間をつぶすのは税金の無駄づかいだ,というような意見もあった.ある議会で同議員は居眠りをしていたという指摘もあった.しかし多くは単に罵詈雑言を並べた,読むにたえないコメントだ.

 居眠りが良いとは私も思わない.しかし選挙で投票するとき,その候補者が会議中に居眠りをするかどうか,などという基準はほとんど意味をなさない.安倍首相への今回の質問を見る限り,小西議員は議員としての仕事をやっている.提灯持ち質問でダラダラと時間を潰すような議員たちこそ,もっと批判されねばならない.仮にその人が居眠りを決してしない無遅刻無欠勤議員であったとしても,議員としての仕事をしているとは評価できない.ヘイトコメントを書いた人たちは,基本的な価値判断を誤っている.

 クイズについて書くつもりだった.
 昨今はテレビでクイズ番組とかクイズ形式の質問をよく見かける.リモコンのボタンを使って視聴者も回答できる参加型のクイズもある.正答しなくてもどうってことはないような質問もけっこう多い.「当たった」「ハズれた」と一喜一憂したり,「今日はまだ一問も間違えてないゾ」と威張ってみたり,まあ結構それなりに面白い.

 こういう番組が多い1つの理由は,技術の進歩で,送信 > 受信の一方通行でない「双方向」の通信が可能になったことだ.そして,もう1つ考えられる理由は,視聴者が「質問に答える」ことの楽しさを発見したことだ.

 この楽しさは学校教育では,あまり味わえない.正答率によって「できる子」「できない子」というような評価が下されたり,自分の進路が左右される.正答率を上げようと親や先生は「頑張れ」を連呼する.これで楽しいわけがない.

 勉強とは,本当は楽しいものだ.今の学校教育の中で子供は「頭を使う」ことの楽しさを奪われている.テレビ番組が相手なら,「頑張れ」などと強制されることもなく,自由に思考し回答できる.学校で味わえないこの楽しさを,テレビが提供してくれる.それがクイズ番組流行の,もう1つの理由だろう.

 さらに言うならば,今のテレビは政治について語らない.語る場合には「そのスジ」に非常に遠慮しているように見える.どういうニュースを報道するかについても,ずいぶん配慮している.つまり報道機関としての役割を,今のテレビはほとんど放棄していると言ってよい.その結果,人畜無害のワイドショーやクイズ番組がもてはやされることになる.

 安倍首相も,そういう番組を思い出して,「クイズのような」と答弁したのかもしれない.クイズ番組の質問であれば,正しく回答できなくても,何の恥じることもない.議会での小西議員の質問は,そうではなかった.それを「クイズのような」としか連想できなかった首相の不見識こそが問われねばならない.
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